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Apr
16th
Fri
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今回のツイッターのドラマが特におかしいことになってたのは、テレビとまったく関係ないやりかたで成長してきた「ツイッター」ってものを、テレビが、テレビの価値観で把握してネタにしちゃったからだと思う。あたりまえの結論でアレなんだけど、まあそれはいつものことか。かつてテレビは、全国の隅々まで「なにがいまいいものなのか」っていう価値観を、全国の隅々まで届ける、ほとんど唯一の媒体だった。だから、あえていやな把握のしたかをするなら、今回のドラマだって、きっとテレビの人たちは、ツイッターっていうものを「見つけてあげた」んだと思う。おまえら何様だよって聞いたら「テレビ様ですがなにか?」って返ってくる。

 かつてはテレビ様の前で人は平伏するしかなかったんだけど、すでにこの世界には「テレビ様wwwww」っていう視点がある。テレビの人たちは、ツイッターがどんなものであるかは調べたかもしれない。そのうえで現実に即しないドラマを作っちゃっていいと思ったのかもしんない。ドラマはある程度は「典型」を視聴者に与えなきゃいけないんだけど、まだこの「典型」は押してけると思ったのかもしれない。

 だけど、その人たちは、きっと「テレビ様すげえ(笑)」っていう視点がネットにあることだけは知らなかったんじゃないかな。仮に知ってたとしても、そんなもん黙殺できるレベルのものだと思ったのかも。

 でもさー、別に俺ら、黙殺されて黙ってる必要もないんだよね。ブログ書けるし、ついったーでなんか言えるし、Ustできるしラジオできるし。「ついったーそんなんじゃねえよwww」って思ったらそう言う。現にそういう声が存在しているっていうのは、ほんとに無視していいほど小さなことなのかな。

 俺にはあんまりそう思えないんだけど。だってネットって、連綿と「どんどん多くの人が声を上げられるように」っていう方向に来てるじゃない。この傾向は、加速することはあっても、ブレーキはかかんないと思うよ。